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柚木沙弥郎氏、永眠。 [訃報]

数年前から民藝に興味を持つようになり、書籍を読んだり、民藝館に(松本市と豊田市)に立ち寄るなどしています。いずれ記事にしていきたいと思っているのですが、先日民藝関係で調べ物をしていて、染色工芸家の柚木沙弥郎さんが今年のはじめ(2024年1月31日)に永眠されたことを知りました。永年102歳。

民藝を探索していく中で、とりわけ『ああ、可愛らしいいい!』とキュンキュンしていたのが(笑)柚木さんの作品。赤色を背景に置物や玩具を図案化した小鳥たちが染められた『小鳥』(1992)など、明るい色と愛嬌のあるモチーフデザインが大好きです。まだまだ勉強中で詳しくご紹介するようなこともできないのですが、70年以上にも渡る創作活動は民藝の祖・柳宗悦との出会い、染色家の芹沢銈介への弟子入りからはじまり、72歳になってからも絵本の仕事を手がけるなど精力的に創作活動を続けておられました。近年では2021年にも展覧会(PLAY!MUSEUMにて『柚木沙弥郎lifr-LIFE』)も開催されています。

私は偶然にも長野県松本市にご縁が深く足を運ぶことが多いのですが、松本市は柚木さんが高校時代を過ごした場所ということもあって、今でも柚木さんの作品を数多くみることが出来ます(*1)。上高地の五千尺ホテルに宿泊した際には、ラウンジに柚木さんの図録や関連図書が複数あって、ゆったりとした時間の中で作品にふれることができてとても感激しました。また、私の暮らす愛知県豊田市にも民藝館があり、柚木さんの展覧会も過去には開催されたようです。

柚木さんは天国に旅立たれましたが、作品たちは今も残っています。また、柚木さんのデザインは身近なインタリアや服装品として購入することもできるので、身近にふれることもできそうです。これからも柚木さんのやさしく愛らしい世界にふれて、元気をもらいたいと思います。
ご冥福を、心よりお祈りいたします。


■柚木沙弥郎公式HP:https://www.samiro.net/index1.html

■企画展示「柚木沙弥郎 life-LIFE」:https://play2020.jp/article/yunokisamiro/

*1■松本へ 柚木沙弥郎の型染に出会う旅:https://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/298680.html

■IDEE:https://www.idee-online.com/shop/features/samiro_tokyo.aspx

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関山三喜夫先生について [訃報]

すでにご存じの方も多くいらっしゃると思うのですが、2022年現代舞踊家の関山三喜夫先生が2月2日にご逝去されました。すぐに訃報として記事を書くことに迷いがあり、今日になりました。

関山先生には、昨年夏にインタビューをさせて頂き、現代舞踊の歴史について貴重なお話を伺っておりました。年の初めに頂いたお年賀には「今年は少しだけお休みしようと思います」とのメッセージを頂いていました。筆不精な私がお年賀のお礼のハガキを投函したのは先生がお亡くなりになる1週間ほど前でした。先生にみていただけたかどうかはわかりませんが、また舞踊の世界から大切な人が逝ってしまわれたなと感じました。

関山先生への感謝を込めて、過去にご紹介したインタビュー記事のご紹介と
先生が大切にされていた現代舞踊協会主催イベントをご紹介したいと思います。
現代舞踊という1つの文化が若い方々によって継承・発展されることを心から願います。

歴史を紐解き、現在を見つめ、未来を描く・・・① 関山三喜夫
https://atl-by-office-new.blog.ss-blog.jp/2021-10-06-1

中部支部 ≪第50回ジュニア舞踊公演≫
http://www.gendaibuyou.or.jp/stage/stage-p/s22031500


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舞踊批評家・山野博大氏死去 [訃報]

私は2005年のダンス評論賞受賞を機に、ダンス評論の世界に足を踏み込みました。
ダンスの歴史も舞踊学も知らず、自分の感性だけで飛び込んだ世界では時に知識不足などで叱責を頂戴したり、笑われたり、相手にされないこともありました。そんな私でしたが、人生で人のご縁には恵まれるという強運に助けられ、いろいろな方のお力で今日まで何とかダンス評論を続けてこられています(・・・と言いつつ、近頃は遅筆さや怠惰が目立つ情けなさです)。

こんな私にとって舞踊批評家の山野博大先生は、本当に偉大な方でした。山野先生の歩みは日本の近代舞踊の歴史そのものでした。そんなすごい先生でしたが、舞踊家と共にこの歴史を築いてこられたというところが(学生時代には舞踊家の稽古場に通って同じ釜の飯を食べながら過ごしたというエピソ-ドがあるほど)本当に先生らしく、私にとっては雲の上の方ではありましたが、心からの尊敬と親しみを抱いておりました。ダンススタダィーズ研究会という場で先生の批評家としてのユニークな歩みのお話を会の有志と原稿に起こしたことが初めての出会いでした。その後は、私の書いた批評に時に厳しく鋭くコメントを下さったり、時に目を細めて褒めて下さいました。また、ダンス公演の会場でお目にかかると温かいお言葉を下さったり、一時期はご自身のご覧になった公演の短評を印刷したものを月に一度お送り下さったりと、私のような未熟な者にも過分な愛情を注いで下さいました。ダンスを言葉にするという、なかなか教えを仰ぐことのない営みをなす者にとって、先生から頂戴した愛情はどれほど私に勇気を与えて下さったか計り知れません。

ある時、渾身の想いを込めて書いた長い長いダンス評に山野先生は大変厳しい言葉を投げられました。「舞踊家がひとつひとつ丁寧に舞踊に組み立てた大切なものを、この書き手はバラバラに分解してみせて手柄をとったようにしている。」この言葉は痛いほど当時の私には刺さるものでしたが、不思議と突き放されたような絶望感は覚えませんでした。先生の言葉は厳しいものに感じましたが、舞踊批評家としてのあるべき姿勢を私に教えて下さる指針となったからでした。ここまでやってはいけないのだと、それ以降私は自分がダンスを言葉にするときの基準・美学を持つこが出来ました。あの時、山野先生が厳しく言葉をぶつけて下さらなければ、私は自分の鑑賞眼と分析に天狗となり、ダンス作品や振付家や舞踊家を傷つけたかも知れません。また、それを読んで下さった方に舞踊批評とはいえないものを渡し続けることになっていたかも知れません。舞踊批評家として今、私がダンス作品や振付家・舞踊家に愛と尊敬を持って評論を書くことが出来るのは、あの時の先生からの言葉があったからこそなのだと思います。

心からの感謝と、深い哀惜の念を記します。
山野博大先生、ありがとうございました。。


【山野博大】やまの・はくだい
舞踊評論家。1936年東京生まれ。59年慶應義塾大学法学部卒業。57年より新聞、雑誌等に公演批評、作品解説等を執筆。文化庁の芸術文化関係委員、日本芸術文化振興会舞踊関係委員を歴任。芸術選奨等各賞の選考、コンクールの審査にあたる。2006年文化庁長官表彰。(2014年5月現在)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/84661

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