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舞踊批評家・山野博大氏死去 [訃報]

私は2005年のダンス評論賞受賞を機に、ダンス評論の世界に足を踏み込みました。
ダンスの歴史も舞踊学も知らず、自分の感性だけで飛び込んだ世界では時に知識不足などで叱責を頂戴したり、笑われたり、相手にされないこともありました。そんな私でしたが、人生で人のご縁には恵まれるという強運に助けられ、いろいろな方のお力で今日まで何とかダンス評論を続けてこられています(・・・と言いつつ、近頃は遅筆さや怠惰が目立つ情けなさです)。

こんな私にとって舞踊批評家の山野博大先生は、本当に偉大な方でした。山野先生の歩みは日本の近代舞踊の歴史そのものでした。そんなすごい先生でしたが、舞踊家と共にこの歴史を築いてこられたというところが(学生時代には舞踊家の稽古場に通って同じ釜の飯を食べながら過ごしたというエピソ-ドがあるほど)本当に先生らしく、私にとっては雲の上の方ではありましたが、心からの尊敬と親しみを抱いておりました。ダンススタダィーズ研究会という場で先生の批評家としてのユニークな歩みのお話を会の有志と原稿に起こしたことが初めての出会いでした。その後は、私の書いた批評に時に厳しく鋭くコメントを下さったり、時に目を細めて褒めて下さいました。また、ダンス公演の会場でお目にかかると温かいお言葉を下さったり、一時期はご自身のご覧になった公演の短評を印刷したものを月に一度お送り下さったりと、私のような未熟な者にも過分な愛情を注いで下さいました。ダンスを言葉にするという、なかなか教えを仰ぐことのない営みをなす者にとって、先生から頂戴した愛情はどれほど私に勇気を与えて下さったか計り知れません。

ある時、渾身の想いを込めて書いた長い長いダンス評に山野先生は大変厳しい言葉を投げられました。「舞踊家がひとつひとつ丁寧に舞踊に組み立てた大切なものを、この書き手はバラバラに分解してみせて手柄をとったようにしている。」この言葉は痛いほど当時の私には刺さるものでしたが、不思議と突き放されたような絶望感は覚えませんでした。先生の言葉は厳しいものに感じましたが、舞踊批評家としてのあるべき姿勢を私に教えて下さる指針となったからでした。ここまでやってはいけないのだと、それ以降私は自分がダンスを言葉にするときの基準・美学を持つこが出来ました。あの時、山野先生が厳しく言葉をぶつけて下さらなければ、私は自分の鑑賞眼と分析に天狗となり、ダンス作品や振付家や舞踊家を傷つけたかも知れません。また、それを読んで下さった方に舞踊批評とはいえないものを渡し続けることになっていたかも知れません。舞踊批評家として今、私がダンス作品や振付家・舞踊家に愛と尊敬を持って評論を書くことが出来るのは、あの時の先生からの言葉があったからこそなのだと思います。

心からの感謝と、深い哀惜の念を記します。
山野博大先生、ありがとうございました。。


【山野博大】やまの・はくだい
舞踊評論家。1936年東京生まれ。59年慶應義塾大学法学部卒業。57年より新聞、雑誌等に公演批評、作品解説等を執筆。文化庁の芸術文化関係委員、日本芸術文化振興会舞踊関係委員を歴任。芸術選奨等各賞の選考、コンクールの審査にあたる。2006年文化庁長官表彰。(2014年5月現在)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/84661

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