アートに出来ること(5) [今だから]
私たちは既知のものにふれている限りは、疑いの目を向けたり改めて考えなおすといったことはしないように思います。また、よく似たものが並んでいる時や、どこか違っているけどハッキリとはわからないようなときにも私たちはあまり積極的に考えはじめません。でも、目にしたものが“知っている姿とかけ離れている”としたらどうでしょうか?
新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るっている今、各国ごとに対応方法は異なっているようです。また、政治を司るトップの立ち振る舞いも違います。どの国の対応が正しくて、どの国のリーダーが正しいのか。そもそも政治とは何をなすべきもので、国のリーダーとはどんな振る舞いをすべき人なのか。国ごとに状況も異なり、人類にとって未知のウィルスへの対応は終息を迎えてみるまでどれが正しいかなど判断できません。時代の渦中にいる私たちには現実を俯瞰して見つめることは難しいのかも知れません。
少し変化球のようなレビューになりますが、私はあいちトリエンナーレ2019で拝見した劇団アルテミス+ヘット・ザウデライク・トネールの『ものがたりのものがたり』の中からヒントを見出してみようと思います。
『ものがたりのものがたり』は、劇団アルテミスとヘット・ザウデライク・トネール(ともに1990年設立・オランダ拠点)の2劇団の共同制作で「子供の目線から世界を捉える」姿勢でつくられた作品。シュールでシニカルな作風には“笑い”が昇華機能として働き、鑑賞後は痛快さを伴います。本作は「劇場に住み着いた先住民」「トランプ一家(に見えるオランダ人家族)」「オブジェの劇」「『旅するものがたり』についての物語」という4つの要素が絡み合いながら進行していくため、大人の真面目さで立ち向かうと挫けそうになるのですが(笑)「トランプ一家(に見えるオランダ人家族)」に焦点を当て、冒頭の問いかけに応答してみようと思います
この「トランプ一家(に見えるオランダ人家族)」、父親のハンスはトランプ大統領、母親のリアは歌手のビヨンセ、8歳の息子サンダーはサッカー選手のロナウドで、それぞれ巨大な写真を板に貼ったハリボテとして登場(アテレコも男女が反転された状態)。楽しいピクニックに来ているらしい家族ですが、その会話はどこか噛み合わず奇妙な焦燥感が流れています。どこをどうとっても「強い違和感」でいっぱいなのです。そもそもトランプ大統領とビヨンセとロナウドの家族って在りえない。母親の声が男性で父親の声が女性なんて奇妙過ぎる。ペランとしたハリボテが超巨大!!!・・・そこで鑑賞者は考え始めるはずです。『・・・じゃあ、母親ってどんな感じだったけ?父親ってどうふるまっているのだっけ?』強い違和感のパンチを食らって、“そもそもに立ち返ろうとする・・・”この作品のモチーフには、そんな力があるように思えます。
想像力を駆使して、自分の国がコロナとどう向き合っているのがいちばん良い姿なのか、自国のリーダーはどうあってほしいのか・・・極端に振って最悪ケースや大笑いするしかないケースを想像してみると、そこに自分なりの指針がみえてくるかも知れません。政治、行政、免疫学、統計学、人道的精神・・・さまざまなことが絡み合ってよくわからなくなる現状だからこそ、ユーモアをたっぷり注いで自分なりに考えてみることが大切。正解ではないかも知れないけれど、自分なりに考えた終息の姿を持つことで過剰に翻弄されることも避けられるように思えます。ユーモアをジャンプ台に想像力をフル活用。どんな状況であっても、大切なことではないでしょうか。そう、どんな時にも自分で自分を“クスっ”と笑わせることの出来る大人のゆとり、持っていたいじゃないですか。
https://aichitriennale.jp/2019/artwork/A68.html
新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るっている今、各国ごとに対応方法は異なっているようです。また、政治を司るトップの立ち振る舞いも違います。どの国の対応が正しくて、どの国のリーダーが正しいのか。そもそも政治とは何をなすべきもので、国のリーダーとはどんな振る舞いをすべき人なのか。国ごとに状況も異なり、人類にとって未知のウィルスへの対応は終息を迎えてみるまでどれが正しいかなど判断できません。時代の渦中にいる私たちには現実を俯瞰して見つめることは難しいのかも知れません。
少し変化球のようなレビューになりますが、私はあいちトリエンナーレ2019で拝見した劇団アルテミス+ヘット・ザウデライク・トネールの『ものがたりのものがたり』の中からヒントを見出してみようと思います。
『ものがたりのものがたり』は、劇団アルテミスとヘット・ザウデライク・トネール(ともに1990年設立・オランダ拠点)の2劇団の共同制作で「子供の目線から世界を捉える」姿勢でつくられた作品。シュールでシニカルな作風には“笑い”が昇華機能として働き、鑑賞後は痛快さを伴います。本作は「劇場に住み着いた先住民」「トランプ一家(に見えるオランダ人家族)」「オブジェの劇」「『旅するものがたり』についての物語」という4つの要素が絡み合いながら進行していくため、大人の真面目さで立ち向かうと挫けそうになるのですが(笑)「トランプ一家(に見えるオランダ人家族)」に焦点を当て、冒頭の問いかけに応答してみようと思います
この「トランプ一家(に見えるオランダ人家族)」、父親のハンスはトランプ大統領、母親のリアは歌手のビヨンセ、8歳の息子サンダーはサッカー選手のロナウドで、それぞれ巨大な写真を板に貼ったハリボテとして登場(アテレコも男女が反転された状態)。楽しいピクニックに来ているらしい家族ですが、その会話はどこか噛み合わず奇妙な焦燥感が流れています。どこをどうとっても「強い違和感」でいっぱいなのです。そもそもトランプ大統領とビヨンセとロナウドの家族って在りえない。母親の声が男性で父親の声が女性なんて奇妙過ぎる。ペランとしたハリボテが超巨大!!!・・・そこで鑑賞者は考え始めるはずです。『・・・じゃあ、母親ってどんな感じだったけ?父親ってどうふるまっているのだっけ?』強い違和感のパンチを食らって、“そもそもに立ち返ろうとする・・・”この作品のモチーフには、そんな力があるように思えます。
想像力を駆使して、自分の国がコロナとどう向き合っているのがいちばん良い姿なのか、自国のリーダーはどうあってほしいのか・・・極端に振って最悪ケースや大笑いするしかないケースを想像してみると、そこに自分なりの指針がみえてくるかも知れません。政治、行政、免疫学、統計学、人道的精神・・・さまざまなことが絡み合ってよくわからなくなる現状だからこそ、ユーモアをたっぷり注いで自分なりに考えてみることが大切。正解ではないかも知れないけれど、自分なりに考えた終息の姿を持つことで過剰に翻弄されることも避けられるように思えます。ユーモアをジャンプ台に想像力をフル活用。どんな状況であっても、大切なことではないでしょうか。そう、どんな時にも自分で自分を“クスっ”と笑わせることの出来る大人のゆとり、持っていたいじゃないですか。
https://aichitriennale.jp/2019/artwork/A68.html
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