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アートに出来ること(2) [今だから]

人や生き物に限らず、あらゆるものは弱くなった時にこそ露わになる部分があるのだと思います。それは例えば社会にしてもそうではないでしょうか。通常運用のような状態の時には「大多数」というものの影に隠れて(隠されて?)いる存在・・・社会弱者といわれる人たちの存在などがあげられると思います。


新型コロナウィルス拡散を食い止めるため、多くの方々が移動の自由をいったん棚上げにして留まることを実行されています。それは「STAY HOME」というキャッチコピーに表されていますが、私には家という場所にいることで危機に晒される女性や子供たちのいることが気がかりです。

本当に悲しいことですが、家庭内暴力や性的虐待に至るギリギリで何とか均衡を保っている状況が行き場を失うことによって崩れているケースがあると聞きます。・・・もちろん、ギリギリの均衡を保つことがキモなのでありません。日頃からそのような状況にある人たちを救い出す仕組みが機能しているべきなのです。社会が手を差し伸べきれないが故に「ギリギリの均衡」に身をゆだねさせてしまっているのです。


私が『あいちトリエンナーレ2019』でVTSに取り組ませて頂いた作品の1つに、モニカ・メイヤー(1954年メキシコ生まれ)の『The Clothesline』があります。会場内には目に鮮やかなピンク色のフレームが立てられ、美術館の一角にちょっとしたコミュニケーションスペースのような場を作り出していました。フレームには横糸が張られていますが、そこに淡いパープルやピンク色のカードが大量に、洗濯ばさみのようなものでズラリと留められています。フレームと同色のエプロンもかけられ、それらはどこかキュートでポップな女性性を強調しているかのようでもあります。ですが、留められたカードの文字に目を通すと多くの人がハッと息をのむかも知れません。カードにはカラフルさと相反するような、性にまつわる差別や抑圧、 暴力についての問いかけに対する女性たちの痛みや苦しみに彩られた言葉が綴られているからです。語られなかった想いや苦悩がカードの数だけ、いえ、それ以上に存在していることに気づくとき、私たちは世の中に埋もれていく「声無き声」の存在を突き付けられるのです。

社会全体が弱ったとき、隠れたところでギリギリにあったものたちも崩れていきます。でも、全体が危ういからといって見過ごされてしまってはいけないのです。そんな時だからこそ、小さくても少しづつでも救うための力が集められなくてはならないのではないでしょうか。

VTSは鑑賞者が作品を見つめながら鑑賞者自身の内側に沸き上がった想いを言葉にします。ある鑑賞者の言葉に今起きていることへのヒントがあるように感じます。「小さなテーブルとイスが、パーティションのようなカードの壁に守られているように見える。けれども完全には閉じていなくて開かれているようにも見える。」傷ついた人を守るのは同じ痛みを知っている人々の言葉であり、それは社会に開かれた議論の中で解決の糸口を模索していくことが必要・・・そのように感じられるのです。

https://aichitriennale.jp/2019/artwork/N04.html

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