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アートに出来ること(12) [今だから]

新型コロナウィルスによる感染症により、世界中で大勢の尊い命が失われています。心より謹んで哀悼の意を捧げます。


新型コロナウィルスの拡散防止のため、私は自宅で過ごすことが多くなりました。少しでも自分が前向きになれることを探して始めたのが「手紙を出すこと」です。“手紙”といっても懸賞の応募ハガキ(笑)だったり、遠隔地の恩人や母親への近況報告をするハガキが大半。どれもさほど時間のかかるものではありませんが、それでも送る人への想いを込めて書くときには言葉を探し、ときには手を止めお茶を飲み、書き終えるときには少しだけ達成感なども感じています。書き終えて見直すと、ところどころインクが滲んでいますが、それは言葉を探して一瞬ペンが止まったときと重なっています。何気なく書いたハガキにも、どことなく書き手の姿がみえてくるものだなと微笑ましく思えました。


あいちトリエンナーレ2019には、現代らしい最新テクノロジーを駆使した作品も数多く出展されていて、国際芸術祭はテクノロジーの祭典とも思えるほど(もちろん、芸術祭はテクノロジーだけではなく、作家という作り手が介在する分、その存在価値は違うもの)です。その中でもユニークだと感じたのはdividual Inc.(2008年に東京都にて設立)の『ラストワーズ/タイプトレース』でした。


dividual Inc.は、メディアアーティストの遠藤拓己と情報学研究者のドミニク・チェンによって設立されたベンチャー企業(のちにクリエイターの山本興一が合流)で、アーティストと情報学者によるベンチャー企業という存在も興味深く感じます。

この作品は、オンライン上の応募によって参加した人々が「あと10分で死ぬとして愛する人に最後に伝えるメッセージ=遺言」をタイピングしたときの様子を“生身のリアリティを持って可視化”し、会場内に設置した24代のiMacで再現(自動で打刻されていく)したインスタレーション。ここでいう“リアリティを持った可視化”というのは、書き手が言葉を紡ぎだすまでにためらって時間がかかるとフォントサイズが大きくなり、すらすら打てているとフォントサイズは小さくなると解釈されています。デジタルなのに、まるで手書きのハガキにインクが滲んでいるような、そんな人間らしさを感じるのが不思議です。


新型コロナウィルスに感染し、亡くなった方々のことはテレビニュースなどで伝え知るばかりですが、中には突然重症化されて病院に入院。そこで感染がわかり近親者ですら会えない状態になり、亡くなる瞬間にも立ち会えず、お骨になって自宅に戻られるという言葉では言い表せない大変な悲しみと苦痛を経験されているご遺族がいらっしゃると聞きます。あるご遺族の方が「・・・なんだか死んだ気がしないんです。突然すぎて・・・。どこかにまだ旅でもしているのかなって。」とおっしゃっていました。命が消えていくのは人間として生を受けた私たちには誰も避けることの出来ない宿命ともいえますが、それでも命が消える前には愛する人たちにそばにいてほしい/そばにいたいと願います。自分が消えていくであろうことを理解しつつも、遺していく愛しい人たちに想いを込めて、ときにためらい、ときに記憶を辿りながら幸福なときを思い出したりして、せめて自分の想いを伝えたいと夢想します。それは最期の、本当にささやかな望みのはずです。・・・それすら絶ってしまう、新型コロナウィルスがもたらす死は、やはり避けなければならない死なのかも知れません。


日本の自粛によるコロナウィルスの第1波の抑え込みは、海外の人々からは“奇妙な成功”だと言われていますが、私たちはこの“奇妙さ”を持って、新型コロナウィルスで命を失う人をひとりでも無くさないといけない、私は心の底からそう思います。

がんばろう、日本。
負けるな、私たち。
世界中が笑顔になれる、その日まで。



https://aichitriennale.jp/2019/artwork/A71.html
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