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アートに出来ること(11) [今だから]

保育園に入園した5歳児のころから社会人になった今まで、私は朝起きて寝るまでの時間の多くを“家の外”で過ごす生活を送ってきました。“家”は、そこに戻れば食事をしたり、家族と話したり、テレビや漫画(笑)をみて寛いだりする場所でしたし、時には成長途上の通過儀礼としてケンカをする場所でありました。でも、生活のすべてがそこにあったわけではない・・・今は社会人以後の生活様式はもっと多様になっていると思いますが、それでも1日の多くを“家の外”で過ごす日本人は多いはずです。限られた“家なかタイム”ではありますが、案外“その人らしさ”が滲んでいるのではないでしょうか。



あいちトリエンナーレ2019年の看板的な作品のひとつともいえるのがウーゴ・ロンディオーネ(1964年・スイス生まれ)の『孤独のボキャブラリー』という作品だと思うのですが、この作品は愛知県美術館の大きな白い空間の中に置かれた等身大のピエロたちが展示されたインスタレーションで、寂し気に目を閉じた白塗りの顔と、ピエロたちが身に着けたサイケデリックな衣装が大変フォトジェニックでした。この会場には朝から晩まで、それこそお子さんから大人まで、多くの来場者がピエロの傍らに“座ったり、寝そべったり、見下ろしたり”して写真を撮っていました。・・・“座ったり、寝そべったり、見下ろしたり”・・・来場者がそうするのは、ピエロたちの姿がさまざまな格好をしているからでした。あるピエロは壁にもたれかかってボーッとしているような恰好をし、あるピエロはひとり膝を抱えた格好をしているといった具合です。この格好、なんと48もあって、それぞれに人間が1日のうちにする行為の名前が付けられているんです。例えば・・・居る、息をする、夢を見る、起きる、立ち上がる、座る・・・料理する・・・罵る、あくびをする、服を脱ぐ、嘘をつくといったもの。中にはおならをする、なんていうものも(笑)。



新型コロナウィルス拡散防止の対応で、多くの方が家の中で1日の大半を過ごす日々が続いています(2020年5月25日現在では全国に発布されていた緊急事態宣言は明日解除となることが発表されましたが)。1日の限られた時間を過ごすはずの“家の中”では、1日の大半の時間を過ごすように変わり、当然ながら、そこに暮らすひとりひとりが顔を合わせて過ごす時間も否応なしに増えています。この状況下で一層の絆を深める人々がいる一方、家庭内暴力に歯止めがかからず苦しむ人々、互いの価値観に大きな違和感を感じて離婚にまで至る人々もいるようです。ひとりで過ごす人々の中には自分ひとりでいることへの孤独感を強め、いつもは感じることのない苦しみに戸惑う人々がいるかも知れません。


『孤独のボキャブラリー』はどこか寂し気で、作品タイトルにあるような孤独感もまとっています。けれども、不思議なほど穏やかで安堵する空気も生み出しているように感じられます。カラフルな衣装に身を包んだピエロたちは、もしかしたら家の外では自分の感情を押し殺して笑顔をつくり、他者を笑わせようと努力しているのかも知れません。そんな彼らが家に帰り、ひとりになった時に訪れる静かな孤独は、偽りの自分を昇華し、本来の姿を取り戻すための浄化のようにも思えます。

コロナ禍にいる私たちは、孤独がもたらす浄化時間さえ喪失しているのではないか・・・ふと、そんなことを感じます。誰かと一緒にいること、自分ひとりでいること・・・どちらもやはりバランスが大切。間もなくやってくるアフターコロナ、withコロナの新しい生活では、改めてこうしたバランスのとり方が問われることになるでしょう。




https://aichitriennale.jp/2019/artwork/A06.html
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