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舞踊批評家協会(2019/06) [舞踊批評家協会関連]

若輩者の私が舞踊批評家協会という歴史ある団体に参加させて頂くようになって数年になります。活動母体が東京ということもあり、なかなか合評会などには参加できていないのですが、今年からせめてその活動をご紹介してみようと思いました。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、舞踊批評家協会は数年前に舞踊家の方との間に齟齬が生じてしまったという出来事がありました。その際には私の元にもほとんどお付き合いのない方から経緯を知りたいという連絡が入ったりして、こういうことに疎い私もさすがに慌てるということがありました。にわかに舞踊批評家協会を否定する動きや状況を一方的に扇動するような流れも生まれ、悪者のような立場に立たされたこともありました。世論というものがどのように生まれ、どのような潜在意識の元に情動的になっていくかを感じられたことは個人的には貴重な経験になったと感じています。

もちろん、課題のない団体なんてないわけですが、歴史の中を歩んできたという事実はあるわけです。いろんなことをおっしゃる方もいるのですが、きっとそれもそうなのだと思います。私はほとんどこの団体では新人ですから、対抗するような力もありません。ただ粛々と、自分に出来ることをやっていこうかなと思う次第です。

前置きが長くなってしまった(汗)。

舞踊批評家協会では、年に数回、会員が集まって合評会を行っています。
例えば6月は1月~4月の間で会員が優れていると感じた作品についての評論を持ち寄り、議論します(時には議論が白熱することもありますが、基本的にはきちんとそれぞれの専門分野の評論家の言葉に耳を傾け、学び合うようなイメージがあります)。
私は愛知県に暮らしていてリアルな合評会にはなかなか参加できないので、事前に評をまとめたものを会員宛に送ります。このアクションをここ数年出来ていなかったのですが(反省)、今年からは気合を入れてやっていこうと思っています。愛知にいる私には中部以南の作品を紹介していくというミッションがあるって勝手に思っていますからね(笑)。中部以南のダンス関係者のみなさま、どうぞご協力・ご支援お願いいたします。なるべくいろんな作品を拝見させて頂きたいって思っています。



寄稿文:舞踊批評家協会50周年の歩みに寄せて 

 舞踊批評家協会の会員として最も経験の浅い私が50周年記念の文章を書かせて頂くということに対し、大変恐縮している。50年という偉大な歩みの中には批評家と舞踊家の真剣な闘いのようなやり取りが交わされてきたし、社会の中で批評家の発する言葉はそれなりに注目もされ、尊敬の念も集めてきた。しかし、批評家ではない人たちも自由に発信する時代になったことと、舞踊そのもの(アートそのもの、という方が良いかも知れないが)の定義が広がっている中で、その存在感は大きく変わってきたように思われる。私などがこの協会に迎え入れて頂いたのもこうした時代の流れに沿ってのことだろうと推察している。専門的な学びもない、いわゆる部外者である私が評論家として活動することなど、それこそ個人の自由発信が行われる以前には考えられないようなことだったと思うからだ。では、この瞬間の批評家の存在意義はどこにあるのだろうか。

 私は会社員を続けながら評論活動を行っている。劇場やライブハウスでは熱烈な鑑賞者のひとりとしてその場を楽しみ、熱に浮かれながら帰宅すると、自分の身で感じたことを咀嚼しながら言葉に変換している。誰よりも多くの作品を網羅的に見ているわけでもないし、舞踊や芸術の歴史的文脈から推察することも出来ていない。しかし、自分の中で生まれた感覚と外の世界(例えば会社生活など)とを重ね合わせ、そこから見えてくる仮説のようなものを言葉として取り出すことは出来ている。鑑賞した作品と自分と外の世界とを重ねて見えてくる“今”を推察し、言葉として発信している。それが自分の批評家としての役割ではないかと考えている。多くの知見を基盤とした作品のジャッジメントなどできないのだ。

 さまざまな作品が生まれ、観客も多様化している。そんな中で批評家だけが変わらずに、ヒエラルキーの頂きに存在するということは現実的ではないし、むしろ滑稽でもあるのではないか。批評家と呼ばれる人たちも個々の個性に従って、時代という流れに足を突っ込みながら、その流れがどこに向かっているのか、流れの中に何が潜んでいるのか、何が流れをつくり、何が流れを変えていこうとしているのかを見極め、言葉にしていくべきだと私は思う。時代のセンサーであり、可視化する者が批評家と呼ばれる人となるのだと思う。

 最も経験の浅い人間が暴言を吐くことが先人たちの苦笑の元に許容される・・・そんなことを願いながらこの雑文を書きあげた。舞踊というもの、批評というものが、こらからの未来でも歩みをともにしながら発展していくことを切に願う。これまでの偉大な50年に恥ずかしくない新たな50年の歩みを重ねていきたい。

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