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寶榮座通信に記事が掲載されました [農村舞台寶榮座]

農村舞台寶榮座の会員さま宛に発行している「寶榮座通信」の創刊号に「創刊に寄せて」というタイトルの記事が掲載されました。

豊田市に点在する農村舞台のご紹介から、寶榮座のこれからの歩みについて書かせて頂きました。
創刊号には他に青木信行会長のあいさつや、これまでの活動、今後の活動予定などが掲載されています。ご関心ある方は、ぜひお問い合わせを。

https://houeiza.jimdo.com/友の会/


「農村舞台」は江戸から明治~昭和のはじめにかけて神社の境内に建築された野外舞台だ。愛知県豊田市北部~東部にも数多く点在し、この地域だけでも80を超える農村舞台が現存している。ただ“現役”として活躍している舞台は限られているのが実情。農村舞台がある地域は主に山村地域だが、やはり過疎化が進んでおり、かつては地歌舞伎を楽しむ住民で活気を帯びた農村舞台も、今では半ば忘れられたようにひっそりとしているものが大半である。怒田沢の寶榮座も、やはりそのような場所になっていた。

2017年6月、怒田沢住民と有志によって、寶榮座の保存・活用を目的とする「農村舞台寶榮座協議会」が発足したのは、会員のみなさまもご承知のことであろう。影をひそめていた寶榮座に灯りをともし、新たな息吹を吹き込むべく活動はスタートした。協議会が注目したのは、農村舞台の持つ“可能性”である。回り舞台と楽屋を有する本格的な舞台構造、周辺の豊かな自然環境、そして何より歌舞伎に親しみながら暮らしを営んだ人たちの持つ記憶・・・これらをかけ合わせれば、農村舞台の新しい活用方法を切り拓き、地域が元気になると考えたのだ。

 ここで少し時間を遡り、協議会発足までの寶榮座を振り返ってみよう。昭和60年、寶榮座は35年ぶりに舞台として復活。スーパー一座によるロック歌舞伎が上演され、会場は詰めかけた観客で沸きに沸いたという。その後寶榮座は再び沈黙することになるのだが、豊田市文化振興財団が中心になって展開している「農村舞台アートプロジェクト」の会場として使用されたことをきっかけに、15年という長い沈黙を破ることとなる(平成27年)。京都の女性舞踏家、今貂子氏が足助に古くから伝わる民話「お姫滝」から発想した「滝姫」を上演し、寶榮座が舞台としての輝きを失っていないことを明らかにしたのだ。筆者はこの舞台上演に関わったが、地域住民(現協議会メンバー)が熱気を帯びながら「ここを何とか活用したい」と語っていたのを覚えている。歌舞伎に親しんだ人々の眠っていた記憶に灯りがともった瞬間である。

 地域活性化というテーマや、山村地域の過疎化という課題は全国どこにでも転がっている命題であろう。行政もそこに手を打つべく懸命だが、残念ながらすべての地域をケアすることは難しい。この状況を打破するには地域が持っている独自の財産を元手に、自分たちの手で楽しみをつくり出し、少し先の未来に希望を描けることが欠かせないのではないか。崇高なテーマを掲げても、義務感に押しつぶされてうまくいかないケースは枚挙にいとまがない。現時点で寶榮座は無理な背伸びはせず、これまでの歩みを踏まえたささやかな進化を選んでいる。小さくても堅実な歩みを重ねている姿がそこにはあるのだ。

 今年の夏も、昨年に続いて原プロジェクトが作品を上演することが決定した。きっと、訪れた人たちの熱気で満たされる熱い夏になることだろう。今から、幕開けのときが楽しみである。 

 文責: Arts&Theatre→Literacy 亀田恵子(農村舞台寶榮座協議会幹事)

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